コラム「この人」第26回 酒井一宏会員
今回は、第63代会長の酒井一宏さんをご紹介します。

小学校時代で思い出すことは、4年生の夏に河東村広田(今の会津若松市)にある大家族(11人)の農家に1人で住み込んだことです。河東村は会津若松盆地を流れる大川の東部に位置します。あたりは一面の田んぼで、隣家は遠く離れていました。そこは、家業であるさかい産業(株)の従業員の方の実家でした。以降、夏休み、冬休みは河東村で過ごし、スキーを覚えたのもその時でした。最初を除き、いつも1人で通ったとのお話、気丈夫な少年の姿が思い浮かびます。
小学校では、社会部(新聞部に近い)に所属。運動は軟式テニスとスキーでした。スキーはその後も続き、大学ではインカレ(全日本学生選手権)の選手でした。持久力がすばらしく、箱根駅伝の予選に参加するほどとのこと。スキーは、現在も川崎ロータリークラブ・スキー同好会のまとめ役として楽しんでおられます。
37歳の時、家業を継がれます。日本経済の変動からビジネスを守り、維持・成長させるため奮闘されます。出会いと別れもありましたが、いつも前を向いて進まれました。
ロータリークラブ(RC)との出会いは早く、高校のインター・アクト・クラブ部員として提唱クラブである横浜南RCの例会に出席した時でした。引率も無く1人で大人の世界に乗り込んでいかれました。日本青年会議所(JC)卒業後、川崎RCのメンバーの方から、当然のように入会を勧められました。「今思えば、強制されることも決して悪いことではなかったと思います」といわれます。JCではイギリスで講演したこともありました。
交換留学生のホームステイを、2回引き受けられたことを誇りにされています。アメリカ人女性とフィンランド人女性でした。アメリカの方はインド出身の方と結婚。家族同様の付き合いをしていたことから新婦側の親族として、インドでの結婚式に招待されます。式は3日間にわたり最後にご先祖様へ報告する、まさに儀式のフルコースでした。ご経験はそれだけではありません。奥様のご縁で、オードリーヘップバーンとも会っておられます。川崎RCでは、会長の時、「川崎駅周辺落書き消し」の奉仕活動を始められました。知り合いのふとした言葉から行動を起こされ。地元の警察への相談、中学生への声がけと進まれました。好奇心、探求心の成果です。最後に、ご趣味をお伺いしたところ、「スキーです」とのお答えでした。お話は最後まで首尾一貫、折り目正しいお人柄を拝見しました。
1951年、川崎市川崎区生まれ。アルマーク株式会社、代表取締役でいらっしゃいます。
(編集者注) 広報・公共イメージ向上委員会は、コラム「この人」に会員のご紹介記事を掲載して参ります。どうぞ宜しくお願い致します。
(文責:広報・公共イメージ向上委員、九門康之)

