コラム「この人」第9回 野渡和義会員

今回は、合唱委員長の野渡和義さんをご紹介します。

 何事にも自然体で取り組まれる姿は、柔道の組み手を思わせます。自身は力むことなく、人生を切り開いてこられました。小学校の時、日本体育大学学生の模範演技で「バック転」を見たのがきっかけで、体操をやってみようと思われました。中学・高校の時代には、初歩的な技ながら床運動、鉄棒、平行棒まで練習されています。
 中学3年の時、英語の先生との出会いで英語に興味を持ちました。商社マンから教師に転身された方で、日本語を英語に訳す際、予定された回答でなくても、文法的に正しければ〇(まる)をくださり、さらに適切な言い方をアドバイスしてくださるという教え方でした。毎週、木曜早朝の少林寺拳法の朝稽古の前に、英作文10題を提出することになりました。柔道部の稽古が終り下校前に、添削したノートを返してくださるという先生のご指導には、本当に感謝しきれないと言われます。大学入試に、この先生に習ったことのある文章が5題中2題も出てきたのには驚いたそうです。
 「音楽は授業以外、特に勉強しませんでした」と言われますが、聖光学院時代に男性カルテットを結成、学内Xmasパーティで2年先輩の小田和正さんたちの前座として出場したとのことです。ただし、その一度きり、とのお話でした。
 営業活動では、様々なの苦労をされました。「売上げ」という数字を拡大しようとするのではなく、「愛用者」を増やす努力の方が、一時的に厳しい状況になってもいずれ盛り返すことができる、という信念を持つに至ったと話されます。
 ロータリークラブへの入会は、あるバーで自分の名前が呼ばれたのを、先輩会員の方が聞き止めたのがきっかけでした。同じ野渡姓の従兄弟とその方が同級生だったことから話が弾みトントン拍子に引き込まれたそうです。 1949年、川崎市生まれ。ユースキン製薬株式会社、創業70年を前に取締役会長となられました。

(編集者注) 広報・公共イメージ向上委員会は、コラム「この人」に会員のご紹介記事を掲載して参ります。どうぞ宜しくお願い致します。

(文責:広報・公共イメージ向上委員、九門康之)